ギルドハウス篠山 | 丹波
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【水無月祭り・打ち込み囃子を奉納させてもらいました】

今年で福住に移住してきて4年目。 (移住の時期を考えると、最初は篠山市大山→半年ほどの家なき子生活を経て今の福住の家に来てるので、今年の夏で5年目。) 決して大きなお祭りではないけれど 地元のみなさんが大切に守って来られている歴史ある例祭。 旧街道を山車が練り歩き、 提灯の明かりで照らされた境内で 打ち込み囃子の奉納が行われる。 お祭りの日が近づくと、 子供たちの祭り囃子の練習が夕暮れ時に聞こえてきて 「ああ、今年も夏が来たなあ」って どこかほっとするこの時期。 今年ははじめて、打ち込み囃子に参加させてもらいました。 お声がけ頂いて、「どんな楽器がいい?」と聞かれたので 去年「初音」から寄進された「胡弓」という楽器があることを知ってたので 胡弓ができたらいいな〜 くらいの軽い気持ちで胡弓を練習することになりました。 ちょうどお祭りの一ヶ月前、7月の頭くらいから練習をはじめたのですが これがなんともまあ難しい。まずは音を出せるようになるまでに時間がかかり、音を覚えて動きを反復して・・ この一ヶ月ほとんど他のことをせず、胡弓を触ってました。笑 一緒に練習していた小鼓でも参加させて頂くことになって、 初参戦から胡弓と小鼓、やってみました。 かみんちょ打ち込み衆のみなさんに支えてもらって、 何とか無事にお役目を終えることができました。(たぶん笑) それと、ちょうどお祭りの一週間ほど前に、嬉しい出来事がありました。 最初に篠山に来た頃に住んでいた旧酒蔵の名家。ここのプロジェクトに関わっていて、そこの家を守ってるおばあちゃんと夜になると昔の話や、移住してきてこれからやりたいこと、考えてることなんかを話しながら、3ヶ月くらいを過ごしたのですが、 この頃の私はまあなんとも言えないというか、 自分自身で事業を進めるとか、何が必要かを考えて先回りするとか 負うべきリスクのこととか、お金の価値なんかも含めて 全然何もわかってなくて(まあたぶん普通に生きてりゃ当たり前の話だけど) このプロジェクトが一度寝かせるかたちになったことが決まった時 どうしようもないくらい力不足だなあと、感じたのを覚えてて けどその力もどうやって磨けばいいのか、自分の自信は何なのかが 本当にわからなくなった時期だったなあと思い返してます。 と、まあ前置きが長くなったのですが そのおばあちゃんから夜に突然お電話を頂いて、 びっくりしてどうなさったんですかと聞くと、 「娘に言われて、安達さんが取材されている記事を拝見させてもらったんです。」 と。(たぶんアナザーライフさんの記事) 「うちの家にいた頃から、きっと立派になる人だと思っていたのですが、本当にここに書いておられる夢に感銘を受けましたよ。これからもずっと応援していますね。もしまた近くを通りがかることがあったら一緒にお話しましょうね」 と、昔と変わらずこんな若造にも、ものすごく丁寧に敬意を払ってお話をしてくださる声に、当時の思いや悔しかったこと、苦しかったこと、不安だったことが思い出されてとてもとても幸せな気分になりました。 今年の夏を越えて、田舎に移住してから5年目の年がはじまろうとしている。 篠山に来た年、NPOとまちづくりに必死だった時、 初音を開業してフリーになった年、 自分の望むライフスタイルの確立を模索した年。 本当に色々な失敗を重ねながら、たくさんの人にお世話になってきた。 時にはどれだけなんと言われようと自分を曲げなかったこともある。 その事を延々と大人数で責められたこともあった。 自分の未熟さや若さもあり、どうしても納得がいかずに 袂を別つことになった人もいる。 同じくらいあたたかく見守ってくれていた人がいて 僕の奇妙で自由なライフスタイルを応援してくれる人がいた。 この数年で少し、わかってきたことがある。 それは、(あくまで僕は) 誰かに理解されようとすることを急ぐ必要はないな ってこと。 認めて欲しい、評価して欲しい、そばにいて欲しい。 自分の夢に寄り添って欲しい、受け入れて欲しい。 そんな事を最初から思ってしまうと、 本当に自分がやりたいことが見えなくなっていってしまう。 そして、その環境にいることにつまらなさを感じてしまう。 基本的に自分が楽しくやりたい事をやったらいい。 それが結果に繋がるし、見返りを求めない前提だからこそ、リスクが容易にとれる。 それは、本人がリスクだと思わないほど自然に。 初音をopenした時も、ネットのアドバイスをしだした時も 会社を辞めて田舎に移住した事も、田舎に来てフリーになった事も、 叶えたい道に向かって進んでいるって、 たったそれだけのこと。 自分を曲げてまで理解されたとしても そこには自分の望まない理解しかない。 ありのままに自分らしく生きている事を 認めてもらえるまでやり続けた先にしか きっと理想の自分はいないんじゃないだろうか。 まだまだ地域の人にもまわりの人にも迷惑ばかりかけているけれど 自ら決めて考えて行動して、リスクをとってそれを自分で解決して そんな一歩一歩の努力が苦しくてたまらなく楽しい。 大きな一歩の準備も大事だけれど、 世の中の正解に近い一歩も大事だけれど、 自分の想う形に向かった小さな小さな一歩を 怪我したり支えられたりしながらまだ歩んでいたいなあと いろんな事を感じた2015年7月末でした。 ...

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丹波日本酒BAR・初音

24歳の時、会社を辞めて移住してきて、 田舎で暮らす、ってことを実践し始めた第一歩目。   ハジマリノオト。 初音のお話です。 楽天を退社して田舎に移住して、 約半年間、地域再生の事業で古民家再生を手がける 一般社団法人NOTEさんにお世話になりました。 大企業 → NPO(に近い組織) 都会  → 田舎 と激変した環境の中で、 今までと一番違ったことは 「自ら創り出さないと何もできない」 ことでした。 綺麗なオフィスがあって、PCがあって やるべき仕事が用意されていて お客さんが既にいて、掃除は専門の人がやってくれる 水道が通っている、都市ガスが通っている。 家の前の溝は綺麗に掃除され、 アスファルトに草は生えてこない。 そんな事が、どうしようもないくらい 当たり前になっていたんです。 そして、ここで仕事を始めて、 ひどく挫折しました。 一から生み出す事ができない。 何をしていいか、何を誰に聞けばいいか そんな事もわかりませんでした。 半年間の契約が終わって、 代表からは「あんたはまだ全然できてへんから、段階を踏みなさい」そう言われたんです。 前向きに持った、危機感。 一度自分の手で一から事業を立ち上げる決心をしました。 ちょうどそのころ、借りた篠山の家は 昔お店をやっていた場所で。 となりのおばあちゃんが ここは昔店やってなあ。 あの灯りが灯ってたんやで。 そんな話をしながら、 「よし、ここでお店をやろう」 そんな単純な思いつきから、お店の準備が始まりました。   地元の人に工具を借りて、 自分で解体作業をやっていったり     店舗のレイアウトを決めて、 調理場にあたる場所には、防水の処理。 コンクリを敷いていきます。     お店のメニュー決め。 商品の選定。 酒器や器の選定。   同じころ、近所にIターンされた、吹きガラスデザイナーさんに升のグラスを作ってもらったり。       古民家の掃除を手伝って、古い食器をもらってきたり、 古い味噌樽をもらって、テーブル台にしてみたりと。 思いつきからかたちにしていく。 何の知識もないけど、 「自分で創る」事を明確に意識した時から、 できない理由は消えて、 できる方法だけを考えるようになって。   ようやく完成したお店は、 予約制にして自分のペースで、無理のない営業をすることに。 最初は地域のおじさんたちに毎日開けろと 散々言われたのですが(笑) 自分のペースでやりたい事をやることにしました。     よく、安達さんは自由ですよね。 そんなことを言われるんです。 確かに自由だ。そう思う。 何が自由なのか考えてみると 囚われない自由を選択していること。 そしてその責任を自分で負う覚悟を決めていること。 なんかなあ。と思う。 漢字は面白くて、 自由 っていう言葉は 自分に由(よ)る と書いていて 理由 っていう言葉は 理(ことわり)に由(よ)る と書く。 僕は、何か自分を縛る理由や言い訳から自分を解放して 自分自身で選んで形作る選択をした時から、自由になった。 初音は春を告げる最初の音 ウグイスの隠喩だそうだ。   ここがはじまりの場所。 自分の自由を探す場所。    ...

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丹波そば街道祭りに出店してきました。

  日本酒BARの店主として、(たまに笑)仕事もしたりしています。 4月の2週目の土日は、 丹波のそば街道まつりに出店してきました。   丹波地域では、数年前から本格的なそば屋さんが増え、 今では約10件ほどに。   そんなそばの職人のみなさんがたくさん集まって、 その腕をふるう1日。     美味しいお蕎麦と一緒に、 うちからは地鶏の鉄板焼きを出してきました。     飲食はそこそこにやっている店主ではありますが、 こうやって楽しんで頑張ってるみなさんがいると 少しでも一緒に盛り上げて、応援したくなります。   楽しい休日だったな〜...

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